TOP | 福島はじめと列車の思い出
僕は電車に特別詳しいわけではないのですが、思い入れがあります。
すでに他界していますが、僕の祖父は元国鉄(現・JR)に勤務していました。
僕が物心ついた頃にはすでに退職していましたが、幼少期は祖父からよく話を聞かせてもらったものでした。
当時すごいなと感じたのは、タクシーで「国鉄の高田さん」といえばちゃんと家まで送り届けられてたこと。
小さな町なので運転手の方も覚えてくれてたようですね。
僕のふるさとの最寄りの駅は、福島県の常磐線にある「原ノ町駅」です。
福島県南相馬市原町区はかつては原町市であり、市制施行前は「原ノ町」と呼ばれていました。昔の呼び名が今も変わらずそのまま使われています。
僕が高校を卒業して、演歌歌手を目指し作詞家の先生の元へ体一つへ向かう日、僕は原ノ町駅発の切符を手に故郷を離れます。
原ノ町駅のホームから手を振りながら僕を見送る父の姿は、今でも心の中で鮮明に蘇ります。
デビューして数年は、地元での仕事やコンサートのたびに特急スーパーひたちを利用し、故郷を訪ねていました。
車窓からの眺めはいつまでも似たような景色なのに、何をするでもなくずっと見つめていたものでした。
その原ノ町駅を含む常磐線の一部エリアは、2011年3月11日に東日本大震災による被害でしばらく閉鎖となりました。
震災があったあの日、ちょうど故郷にいた僕は、被災者の一人。僕の実家も津波で被害を受けました。
あの地震の中で命が助かったことは不幸中の幸いですが、震災の後しばらくは路線の上には特急スーパーひたちがそのまま放置され、手つかずの線路は雑草がはえ放題という状況となっていました。
あの日のことを思うと、2020年3月に常磐線が全線開通となったニュースは、心から嬉しく思いました!
数年前、地元の歴史を伝える展示館である「まちの駅 銘醸館」を訪れたときの話です。
そこには南相馬市の歴史にまつわる様々なものが展示されているのですが、国鉄時代の写真も飾られていました。すると職員らが写る写真の中に、なんと僕の祖父を見つけることができたのです。
祖父の写真は、すべて津波で流されていて一枚も残っていなかったのですが、そこに写る若かりし祖父の姿に出会ったことで、僕は元気をもらいました!
そして今「北国終列車」という楽曲で列車演歌を歌える機会をいただけたことは、僕にとって運命を感じたりしています。
きっと祖父もあの世から微笑んでくれてるだろうと思っています。
僕の思いを北国終列車に乗せて、全国に向けて歌を届けるたびに出発進行だ!!
2020年秋 福島はじめ